2018年 12月 の投稿一覧

れんこんピザ!

 

今週末は冬将軍が来るそうですが、昨日今日と暖かい日が続いていますね。

なかなか、着るものに困る今日この頃ですね。

風邪などひかないように頑張りましょう!

 

今回は旬のレンコンを使ったおつまみです。

 

れんこんピザです。

 

材料:  レンコン、ベーコン、ズッキーニ、エリンギ、プチトマト、とろけるチーズ、塩コショウ、ケチャップ、

 

作り方

1: ベーコン、ズッキーニ、エリンギ、プチトマトを塩コショウとケチャップで味付けて炒めます。

 

2: レンコンを薄切りにして水にさらさないで並べます。 1を上にのせて焼きます。レンコンに火が通ってきたら

チーズをかけてオーブントースターで焼きます。

チーズが溶ければ出来上がり

 

タバスコかけてお召し上がりください。チーズがパリッと焼けて美味しいですよ。

中ちゃん チロリン村

 

弥生町のソープランド街、ロイヤル女子寮の向かいというディープなところにある鉄板焼きのお店です。

 

実はもともとの中ちゃんはもう亡くなってしまって、そのお店の権利とレシピを引き継いでやられてるそうです。

 

昔の中ちゃんは私が学生のころからの付き合いでしたので30年ほどだったでしょうか、10年通ってやっと話をしてくれるようになったような、そんな近寄りがたい、でも、常連になってからは温かい笑顔の素敵な大将でした。

 

そんな思い出もあることから中ちゃんが入退院を繰り返してもお店をやられていた時も通っていたのでその思い入れが強く、

亡くなられたときは思い出の詰まったとっておきの場所がなくなってしまった失望感が大きく、別の人がやられてるお店には行く気にはなれなかったのが正直なところでした。

 

そのため新しくなってから一度も行ったことはなかったのですが、同僚の先生に誘われたので何年かぶりに足を踏み入れたという次第です。

 

昔と比べてずいぶんと拡張されて広くなっていました。

 

中ちゃんと言えば「ウニクレソン」と言われるくらい昔から有名で、今でこそ「ウニほーれん」なるものが出ていますが、もともとは「ウニクレソン」がはじめじゃなかったかと思っています。たっぷりのバターと醤油でサッとソテーしたクレソンにウニをサッと合わせてカリッと焼いたバケットに乗せていただきます。

 

 

昔と変わらず美味しかったです。

 

 

次は煮込み。これは昔と違ってちょっと具が上品になっていました。でも美味しさは変わらず、唐辛子をいっぱいかけていただきます。

 

 

アワビのバター焼きです。アワビに小麦粉を振りかけてバター醤油で味付けます。

昔ほどのボリュームはさすがにありませんがまあ美味しく頂きました。

 

 

この調子で牛タン

 

 

ステーキもいただきました。

 

ガーリックがきいた味付けで美味しくなつかしかったです。

 

昔の思い出もあってどうしても比較してしまいますが、昔を懐かしめるには十分な味でした。

 

またフラっと寄せていただこうと思います。

壁に貼ってある中ちゃんのポスターを眺めながら乾杯するのもそろそろ良い時期かと思いました。

 

 

答えの出ないのが答え・・・

 

 

運命とはなんだろう?

 

「人生」って「人が生まれる」と書きますよね。人が生まれると、まこと、言葉通り「人生」が始まるわけです。

そして、人生とは地図のようなものだと思います。

人が生まれると、人生っていう地図を渡されて・・・

生きるとはその地図を持って旅をし、その地図を修正したり書き加えたりして自分だけの地図を完成させることなんじゃないでしょうか。

それでは運命とは何でしょうか?

命を運ぶこと、すなわち自分が歩んだ道のことじゃないでしょうか。

 

 

「運命」とは「人生という地図に記されている自分が歩んだ道」とたとえることが出来るかもしれません。その人がどういう生き方をしてきたかということを記しているものと言えます。

運命とは最初から決まっていて変えようのないことのような言い方をよくされますがそうではなくてどういう生き方をしてきたかによって最後に分かる道筋、人生の経路のように思えるのです。

なぜか年の瀬が近づくといろんなことを考えてしまいます。

今回は運命や人生について自分の考えをお話ししようと思います。

はじまりはじまり・・・

 

 

まず生れ落ちると親から、あるいは名前をつけてくれたおじーちゃんからかもしれないけれど、自分の名前の書いてある「人生」って地図を渡される。

最初はそこには何も書いてない白紙の地図だけど、親が自分の家の間取りを教えてくれてそれを覚えるようにそこに書いてくれる、

それからいろいろな話を聞いたり、いろんな場所に連れて行ってもらったりして、近所の公園とかの場所を記した地図ができてくる。そこにはまたいろんな注意書きや説明書きがなされていく。

 

そのようにしてその地図は、人の話とか読んだ本とか学んだ教育とかまたそれに空想もあいまってどんどん大きなものになって行く。

いろんな人と知り合っていろんな知識を得てどこに何があるとか、あそこにこんな綺麗な景色があるとか、美味しいお店があるとかを知ることになる。まあいえば人の話はガイドブックみたいなもんだ。

 

お金のある者はそのガイドブックに従って、その場所に行ってみたいと思うし、また興味のないものは家の周りだけで幸せだと感じる人もいる。ガイドブックを眺めているだけで満足する人もいるだろうけど、実のところやっぱり実際行ってみないとわからない。

またガイドブックについてもいろいろ出てるけど、ガイドブックとはこまめな大人が自分の行ったことのあるところや、人から聞いところなどで一般の人に話せる範囲で儲けてやろうと思って書いた本だ。まあそこそこ当たっている本もあれば、全く期待外れなことを書いてあったりする本も往々にしてある。

人に話とはそんなもんで、実際本当に良いところなんかは人には言わないし、自分のものだけにしておきたいものだ。

 

旅をするには参考程度にして実際歩いてみることだ。

失敗することもあれば近くまで行って現地の人に聞けばとびっきりの穴場を教えてくれたりするかもしれない。

そうやってだんだん自分だけの地図ができてくる。そに地図は知識によってどんどん大きくなるし詳しくなる、

人によっては通り過ぎるようなところも場合によってはそこに咲いてる花の存在さえも記憶に残せることもある。

人生って地図は人によってどんどんデカくなるし、小さくもなる。自分から破り捨ててしまう人もいれば、それを克明に記録して人に知らせてそれを読んだ人が感動することだってある。 自伝の類ね。

 

そして地図上の自分が実際に歩んだ道をつないだものが運命って言う道だ。命をこういう順序で運びましたよっていうトリップノートみたいなものだ。

 

最初は人生って言う地図上を一人で旅する・・・

そのうちその自分が描いた地図を見て、「一緒に行ってみたい」っていう人と出会うことになる。

それが人生のパートナーであると思う。運命的な出会いとはまさしくそういうものだろう。

もちろんその人も違う地図を持ってる。だから「そこは違うよ!それは間違ってる!」みたいに意見が食い違って喧嘩したりすることもある。

でも二人で進んでいけば、またその時間が長いほど修正されていろいろな内容に富んだ充実した地図になる。

 

全く性格の異なる地図だと意味がない場合もあるけど、それは山に登ろうとしてるのにデパートのテナントの地図しか持ってないとかそんな類の場合だ。

どんな地図を書いていくのか、完成させて行くのかそれは人それぞれ。 歩む道ほどにドラマがある。

いろんな人がそれぞれの人生を歩んでいろんな地図を完成させる、それがいっぱい集まって人類の知恵が集まった地図が出来上がる。その地図こそが人間の可能性すべてだといえる。どんどんそれが増えていくと新しい地図が増えてすなわち人間の可能性が増して進化していくことになる。一人ひとりの人生が人間の可能性を少しずつ拡げていっているのだと思う。

だからどんな人生でも人類にとって可能性を拡げることに貢献しているといえるし無駄じゃない。

全部の道を究めることは困難だけどどの道を極めようとも全人類にとっては決して無駄にはならない。ただそれを伝えないと無駄に終わることもある。せっかく歩んだ道だから無駄に終わらせぬように誰かに話して誰かとつながればきっと後に伝えられる。自分の子供に伝えるもよし、弟子に伝授するもよし、友人にアドバイスするもよしだ。

人とのつながりを絶つことはその進化の原理を断つことになる、もったいない行為だと思う。

ちょっと横道にそれてしまったが、各々が人生を全うし各々の地図を作ってそれをみんなで分け合い共有しあうことで人類の地図が詳細になっていき、人間の可能性が拡がる、進化につながる。

それは決して完成することはないけれど詳細にはなる、より良いものになっていく。

 

「人生や運命とは何ぞや」と皆が何世紀にもわたって思いめぐらし結論付けようとしてもはっきりと完成した答えが出ないのはそういうことだと思う。

完成しなくてもいいのだ。

より詳細になり可能性が拡がっていくことは間違いないのだから・・・