数学は将来必要?って言うお話。
先日居酒屋で飲んでいるとお隣さんの話が聞こえてきまして、ちょっと気になったのでそのお話を・・・
そのお客さんが言う話を要約するとこうです。
『数学なんか勉強しても大人になったらそんなものただの一回も使ったことが無い。だからそんなもの勉強してもまったく意味が無い!』と言うことでした。
確かに数学そのものの方程式などは私も今まで社会人になって使った覚えはありませんし、いままでたくさんの人が同じようなことを言っていた記憶はあります。
ですが、本当に意味が無いのでしょうか?
そんな意味の無いことを中学校、高校で学ぶでしょうか?
実は私が高校生の頃の何かの授業のときに
『将来、君達に子供が出来て「数学はいったい何のために勉強するの?こんなの使わないよね?」って聞かれたときに何と答えて、その子を納得させますか?』と言うディスカッションをすることになったことがありました。
皆は『大学進学のため』だとか
『試験に合格するため』だとか
『自分がなりたい者になるためには試験がある。それに合格しなければなれない。たとえ将来使わなくても、数学は必須科目なので勉強しなければ仕方が無い』などといった意見が大半でした。
本当にそうでしょうか?そんなことで納得するでしょうか?
私は今はこのように考えています。
数学そのものは使ってないが、数学の考え方、「秩序立てて論理的に物事を判断し、結論を導き出すこと」は常に使っている気がします。
数学とはその考え方を学ばせる、練習させる学問なのではないか?
理屈が間違っていると絶対に答えが合わないですし、
考え方が正しければ答えがひとつに決まるので、論理的に物事を考えるということを練習するには最高のトレーニングでもあるのではないか?
新しいことを考えていこうとするとき、どうしてもカンとかセンスだけの再現性の無いことでは到底任せることは出来ません。(もちろん新しい発想、考え方を生み出すにはカンとセンスは重要ではあります。)
例えばロケットを飛ばすのに『なんか飛べる気がする・・・』では任せられませんよね?
今までに無い新しいことを考えたりするには少なくとも数学の問題を解けるだけの論理的な考え方が出来ないと到底その先にあるものなど解くことは出来ないし生み出すことは出来ないのだと思います。
新しいこと、特に技術の発展は昔からの考え方がベースにあり、その理論の限界をなんとかしてクリア出来たときに進んでいきます。そのときに論理的な考えが出来ないと到底新しい考えが正しいなどと証明できないのです。
そういう次世代を担う人材はそのような考えをトレーニングしておく必要があるのだと思います。
たとえ数学の公式など忘れてしまっても、そこで学んだ考え方を理解していれば、何年か後にそれを読んだとしても、その考えは理解できるし導き出せると思います。
別に公式などどうでも良いのです。考え方だけ鍛えていればその考え方は常に使っていけるのですから。
まあその考え方を刷り込ませるにはかなりの練習が必要で、結局勉強しないといけないのですけどね。笑
受験で悩んでいる中学生、高校生もいると思いますが、間違いなく数学の考え方は役に立ちますのでしっかり今のうちにトレーニングしておいてくださいね。きっと役に立ちますから。